第1章 瞑想の仕方
瞑想は、特別なことではありません。 決して怪しいものではありませんし、特殊な人にしかできないものでもありません。 瞑想とは、日常の中で、誰もが知らず知らずのうちに、無意識に行っているものです。 (それは、うとうとしながらも意識はある、あの気持ちの良い状態であったり、音楽に身をまかせ、踊り、まどろんでいる状態だったりします。)
ですから、瞑想は、できる人とできない人がいるということではありません。 積極的に日常生活に取り入れている人と、そうでない人。 意識してできる人と、意識してもなかなかできない人。 その差があるだけなのです。
瞑想とは何か
瞑想とは何か、をひとことで言うと、 心身をリラックスさせ、雑念をはらい、脳波をアルファ波にし、脳の中に「脳内麻薬」を出すことである、と言ってよいかと思います。
瞑想のやり方
これからご紹介する方法でなければいけない、ということはありません。 下記の方法に従っていただくと、比較的簡単に、瞑想状態に入りやすくなります。
必要なもの
① 瞑想を邪魔されない場所(個室が望ましいです) ② 火のついたローソク1本 (光るものであれば指輪でも構いませんし、なければ水の入った透明のコップでも結構です) ③ お香(なくても大丈夫です) ④ 心が落ち着く音楽テープ(なくても大丈夫です)
やり方
① 背筋を伸ばして座ります。 (椅子に腰かけても、正座しても、あぐらをかいても構いません。ただし、横になるのは良くないようです)
② 前方2メートルくらいのところにローソクを置き、これをじっと見つめます。
③ 腹式呼吸(息を吐いた時にお腹がへこみます)を繰り返します。ゆっくり吐いて、吸って、止めて、またゆっくり吐く、という要領です。
④ 吐く時に数をかぞえます。「いーち」と頭の中で数えながら吐きます。吐いたら吸って、止めて、2回目に吐く時に「にー」とまた頭の中で数えます。その繰り返しで、10までかぞえます。 かぞえ終えたら、また1から始めます。 この、吐きながら1~10までかぞえるという行為を、3回繰り返します。
⑤ 楽な呼吸に戻し、数をかぞえるのをやめます。
⑥ ふっと目を閉じ、まぶたの裏側をじっと見つめます。すると、そこに今まで見つめ続けたローソクの炎の残像が残っているはずです。その残像を見続けてください。
⑦ 呼吸が非常にかすかになり、体中がリラックスしているのがわかります。
⑧ 頭の中にさまざまなイメージが湧いてきますが、それを自然に任せ、ぼんやりと眺めていてください。
⑨ 15~30分程度やれば十分です。適切な指導者がいない場合は、60分以上しないほうが賢明です。
以上です。
終わり方
① ふっと目をあけて、再びローソクを見つめます。
② 「ありがとうございました」とローソクに向かって、一礼します。
③ 3回ほど、大きく深呼吸をし、背伸びをします。
④ ゆっくり立ちあがり、手足をブラブラさせます。
⑤ スッキリしている自分に気づきます。
注意事項
① 身体に余分なエネルギーが溜まっていると、うまく瞑想できません。あらかじめ身体を十分に動かしてから取り組みましょう。
② 瞑想中、幻覚を見ることがあります。神様や仏様が現れて、「自分は悟りを開いた」と思ってしまう方もいますが、それは悟りではありません。映画でも見るような気持ちで、軽く眺める程度にしておいてください。幻覚に強く興味を持ったり、追いかけたりしないようご注意ください。
③ 瞑想は、適切な指導者がいない場合は、朝晩それぞれ30分程度に抑えてください。
④ 終わり方は、きちんと行ってください。瞑想状態のまま車を運転することのないよう、くれぐれもご注意ください。
⑤ 身体の調子が悪い時、気分がすぐれない時は、無理に行わないでください。
何のために瞑想するのか?
「瞑想は、目的を持って行ってはいけない」とおっしゃる方がいます。「なるほど」と思います。「欲望を捨て去ることこそが、真の瞑想の目的なのだから」ということのようです。
一方で、瞑想には次のような効果があるとも言われています。 気分が爽快になり、身体が軽くなる。毎日が希望に満ちたものになり、イキイキとしてくる。身体が丈夫になり、他人に対して思いやりのある優しい態度が取れるようになる。自分の能力を最大限に生かせるようになる。以上です。←くれぐれも、神秘体験を味わいたいという動機だけで瞑想することのないよう、ご注意ください。
私自身は、瞑想を、主に疲労回復のために行っています。 そして、もうひとつ。どうしたらいいかわからなくなった時、どちらを選んだらいいか迷った時にも、瞑想をします。すると、瞑想は答えを出してくれます。そう、出してくれるような気がするのです。瞑想の後の私の選択は、吉と出ることが多いように思います。非力な私が、ここまでやってこられたのは、瞑想のおかげだと感謝しております。
最後に、このページは、無能唱元さん、天外伺朗さん、佐々木雄二さんの書物を参考にしながら、自分の経験を交えて書きました。
瞑想を覚えた私のその後(2026年7月)
第2章 瞑想と向き合った日々
第1章の「瞑想の仕方」という文章を書いたのは、2003年のことです。
当時の私は、ローソクの炎を見つめ、腹式呼吸をしながら数をかぞえ、脳波をアルファ波に導く方法を、数多くの書籍を読みながら実践していました。
やがて、「我流ではいけない」と思い、瞑想教室に通うようになりました。 有名な先生の指導を仰ぎ、集団瞑想会にも参加しました。あるときは、「悟りを開いた」と仰る大先生のところにも足を運んだことがあります。
今振り返ると、ずいぶん熱心に取り組んでいたと思います。座ることに慣れ、呼吸を整えることに慣れ、雑念を手放すことにも、少しずつ慣れていきました。あの頃の私にとって瞑想は、心を整えるための、大切な習慣でした。
今、たどり着いた場所
けれど今の私は、瞑想を、ほとんど行っていません。
理由は、ハッキリしています。 山登りをしたり、サウナに行って整えたり、ヨガをしたりすると、上手に瞑想できていた時と、ほとんど変わらない心地よさを感じるようになったからです。
体を動かしながら、あるいは汗をかきながら、頭の中が静かになっていく…。雑念が消え、今この瞬間に意識が集中していく。それは、あの日、ローソクの炎を見つめていた時の感覚と、驚くほどよく似ています。
しかも、山登りやサウナやヨガには、瞑想にはないおまけがついてきます。運動不足の解消です。座っているだけでは動かせなかった身体を、思いきり動かすことができる。心も身体も同時に整えられるのですから、これはもう、一石二鳥と言うほかありません。
座って行う瞑想だけが、瞑想ではないのだと、今の私は感じています。無心になれる時間、頭が静かになる時間は、形を変えて、いろいろなところに転がっているものなのかもしれません。
もちろん、あの2003年の文章に書いた方法が、間違っていたとは思っていません。あの実践があったからこそ、今の私は、山登りやサウナの中に、同じ心地よさを見つけられるようになったのだと思います。瞑想を続けたことが、瞑想をしなくても心を整えられる自分を、育ててくれたのかもしれません。
もし、じっと座って瞑想をすることが苦手だという方がいらっしゃったら、無理に座り続ける必要はありません。体を動かす中にも、心を整える時間は、きっと見つかります。そして、自分ひとりではなかなか整理できない心の中を整えたい時は、どうぞカウンセリングルームにも、お気軽にお立ち寄りください。
自分を大切にする
・自分を好きになる方法 ・自分のお世話をする方法 ・良い目標の立て方 ・ラジオ体操(実は、とっても深い内容です) ・正しいダイエット
